札幌地方裁判所 平成元年(わ)572号 判決 1990年6月20日
主文
被告人は無罪。
理由
第一 本件公訴事実の要旨
被告人は、Aと共謀のうえ、法定の除外事由がないのに、平成元年四月二八日午前九時一五分ころ、札幌市南区<住所略>所在の第一〇〇マンション一階二号室右A方において、覚せい剤である塩酸フェニルメチルアミノプロパン結晶粉末約1.157グラムを所持したものである。
第二 当裁判所の判断
一 はじめに
検察官は、要するに、被告人は、平成元年四月二〇日午後七時ころ、A方において、同女から二万円を借り受けた際、その担保として本件覚せい剤を預け、その結果、本件公訴事実記載の犯行に及んだものである旨主張している。
これに対し、被告人は、捜査段階から一貫して、右の日時場所においてAに本件覚せい剤を預けたことはない旨供述し、本件公訴事実について全面的に否認している。
二 前提となる事実
証人Gの当公判廷における供述、司法巡査作成の覚せい剤取締法違反被疑事件写真撮影報告書謄本、司法巡査作成の捜索差押調書謄本、A作成の任意提出書謄本、司法巡査作成の領置調書謄本、司法警察員作成の平成元年四月二八日付鑑定嘱託書謄本及び技術吏員池田俊朗作成の同年五月二日付鑑定書謄本によれば、Aは平成元年四月二三日(日曜日)に詐欺の容疑で札幌方面南警察署に逮捕されたが、当初住居は不定である旨述べていたところ、同月二七日の取調べにおいて、取調警察官に対して、自発的に、実は自宅があり、自宅冷蔵庫冷凍室内に覚せい剤を保管してある旨の申し出をしたところ、そこで警察官らが、翌二八日午前九時一五分から同日午前一〇時五分までの間、詐欺罪に関して発付された捜索差押許可状をもって、A立合いのうえ、札幌市南区<住所略>所在の○○マンション一階二号室A宅の捜索を実施したところ、Aが申告したとおり、冷凍室内からタッパーに入った覚せい剤である塩酸フェニルメチルアミノプロパン結晶粉末約1.157グラム(本件覚せい剤)が発見され、同日、Aから右覚せい剤の任意提出を受けたことが認められ、以上の各事実を総合すれば、Aが本件公訴事実記載の日時場所において、本件覚せい剤を所持していたことは間違いのない事実として認定することができる。
三 争点
ところで、Aは、本件覚せい剤は、自分が被告人に二万円を貸した際、被告人から担保として預かったものであると供述(証人Aの当公判廷(第二回、第一三回)における各供述並びに証人Aに対する当裁判所(平成元年一〇月二五日、同年一一月二〇日各実施)の各尋問調書)(以下、証人Aの右各供述を一括して「A証言」という。)しており、結局のところ、A証言がほとんど唯一の証拠であるので、本件公訴事実を認めうるか否かは、右証言の信用性の判断にかかっているといえる。
四 A証言について
1 A証言の内容
A証言は、その内容において変遷がみられ、あるいは、前後矛盾し、あいまい、不明確な部分もあるが、その証言の内容は大要次のとおりである。
(一) 被告人とAとの関係
被告人とは、昭和六三年三月か四月ころ札幌市豊平区<住所略>所在のゲーム喫茶「××」の客同士として知り合い、その後、被告人の内妻Bを交えて交際していた。当時、被告人は、同区<住所略>所在の第二スターダストというアパートに住んでいたが、Bの産後の同年一二月二八日には、サンコーポという所に移った。自分は被告人に平成元年二月か三月に二回に分けて一〇万円ずつ貸したが、一度も返済されなかった。それ以外にもこれまで品物を買ってやったり、少額の金銭を貸してやった。その品物というのは、被告人とBの間にできた子供の物やBの物がほとんどであった。被告人から一万ずつ二回くらい借りたが、その都度返した。自分は、被告人に金を貸した際担保を受け取ったことがなかったが、今回初めて担保として覚せい剤を預かった。
(二) 被告人と覚せい剤とのかかわり
自分は、被告人が第二スターダストに住んでいたころ、覚せい剤を入れた磁石付黒色ケース(<証拠>)を冷蔵庫の底部にある水受け皿の中に隠していたのを見たことがあった。被告人が何度か覚せい剤を自分の尻に注射するのを見た。また、被告人が覚せい剤をパケに小分けするのも一、二度見たことがあった。
(三) Aと覚せい剤とのかかわり
自分には覚せい剤取締法違反の前科が一件あるが、それは覚せい剤を使用したというものであった。自分では注射できないので、人に注射してもらった。覚せい剤取締法違反で刑務所を出所後これまで、覚せい剤を使用したことはないし、買ったこともなかった。被告人以外の人が覚せい剤を持っていたり、使用しているのを見たことはなかった。Bが覚せい剤を注射しているのを見たこともなかった。自分は付添婦をやっていたが、付添婦の知り合いで覚せい剤を使用している人はいなかったし、そのようなことをBに話したこともなかった。
自分が、被告人から覚せい剤を預かったのは今回の一回だけで、そのほかにはなく、また、被告人から覚せい剤を買ったこともなかった。
(四) 被告人から本件覚せい剤を預かった経緯
平成元年四月一八日午前一一時ころ、被告人が自分の家に来て、二、三日したら返すから金がなければ一万でもいいし、本当は二万か三万貸して欲しいと言った。「今ない」と言って断ると、夕方にも金を貸してくれと言ってきたが、やはりないと答えると帰って行った。翌一九日午後、被告人が自分の家(○○マンション)に来て被告人の子供の「百日目のお宮参り」の時の写真を見せてくれた際、「お金二万円なんとかできまんせんか」などと言った。自分は手持ちの金二万円くらいを持っていたが、これを貸してしまうと自分が生活に困るから、これを貸す気はなかったものの、被告人から「何回も足を運ばせて」と文句を言われたので腹を立てたが、被告人からしつこく頼まれるので、「明日おいで」と言って帰した。
翌二〇日午前一〇時ころ、夕張にいるBに金を借りようと思って電話を架けたところ、Bの母親が出たので、Bに替わってもらい、電話で「五万円必要だから送って下さい」「パパ(被告人のこと)が来て金貸してとうるさいから」と言ったところ、Bから「いいかげんに貸すのやめなさいよ」と言われたものの、「いいから。私が返すんだから貸して」と頼んだところ、Bは承知してくれ、同日午後三時ころ、池上美恵子(Aの別名)宛ての電信為替で送ってくれた五万円を受け取った。そのあと、Bに電話で、金を受け取ったと報告した。被告人は、その日の午後七時少し前ころ金を借りに家に来た。被告人に金を貸すため財布内の七万円から二万円を取り出そうとした時、新札でくっついていたせいか、財布から三万円取り出してしまい、余分に金を持っているところを被告人に見られてしまった。今まで被告人に金を貸しても返してもらったことがなかったので、被告人に「何か置いていって下さい」と担保を要求したところ、被告人は、すぐどこかへ電話を架けて、その後「そばの生協の所で人と話ししてくる。すぐ戻る」と言って車に乗り出かけた。五分か一〇分で被告人は戻って来たが、ジャンパーのポケットから覚せい剤の入った透明のチャック付ビニール袋一個を取り出して、自分に「鋏を貸してくれ」と言ってきたので、鋏(<証拠>)を貸してやった。その後「靴下の入った袋でもいいしお菓子の入った袋でもいいから一枚ちょうだい」というので、自分は靴下(ソックス)の入っていたビニール袋を一枚あげた。被告人はそれを使ってパケを作り、持ってきた覚せい剤を砕いて粉にし、二、三個のパケに小分けしてライターで止め、そのうちの一個を「置いていくから。明日取りに来る」と言って預けてくれ、残りの覚せい剤入りパケをジャンパーのポケットに入れた。その後被告人は、コップに勝手に水を汲んで、臀部に一回覚せい剤を注射していた。この時被告人は、黄色プラスチック製ふた付ケース(<証拠>)に入っていた注射器(<証拠>)を使ったが、この入れ物は以前自分が被告人の求めに応じて家にあったのをあげたものだった。
(五) 本件後逮捕までの状況
右同日、被告人は午後八時ころまで自宅にいたが、その後、自分は地下鉄平岸駅近くの二四時間営業しているマートマーケットまで行き、買物をした後タクシーで帰宅した。翌二一日正午近くになって、タクシーで「××」に行き、途中一時間くらい同店を抜けて、Cから金を貸してもらうため、午後三時前に拓殖銀行に行き、その金を受け取ってから友達の家に寄って、それから再び「××」に戻りCから借りた金でゲームをした。夜の一二時を過ぎていたか否かは定かでないが、夜中になってから自宅に帰った。翌二二日昼過ぎに起きて、Hの友人宅に行き、その後、夕方四時過ぎに「××」に行き、日曜日の朝六時過ぎまでいたが、ゲームで金を使ってしまったことから、同店のマスターに八〇〇〇円を借りた。その後、南一〇条西八丁目所在の知人宅に行ったところ、その場で自分は逮捕された。
(六) 逮捕後の事情
逮捕当初、自分は、家に覚せい剤があるので発見されては困ると思い部屋はないと嘘を言った。被告人やBが下着や洗面道具くらいは入れてくれるだろうと思い、刑事に電話を入れておいて下さいと頼んだ。そうすれば、被告人が感づいて、鍵を渡したら覚せい剤をどうかしてくれるだろうと思い、鍵を渡すからと電話で言って下さいと頼んだ。しかし、刑事が何回電話しても全然何もしてくれないので、二四日か二五日に自宅があることと覚せい剤を自宅に隠してあることを話しした。逮捕された翌日か翌々日、注射痕があるか否か腕を調べられたうえ、採尿検査を受けたが、覚せい剤反応は出なかった。同月二八日、詐欺の証拠品である領収書の捜索の際下着なども取りに行こうと言われ、警察の人と自宅に行き、冷凍室の中の本件覚せい剤が発見された。その際、「今日来たけれどもいなかった」「甲」との記載があるメモが玄関に入れてあったので、被告人が覚せい剤を取りに来たと思った。その日には注射器のことを言わなかったが、後日の調べの時に、注射器が万が一見つかったらまた何か付け加えられるのではないかと思って、注射器が自宅にあることを警察官に話しした。
自分は、同年の五月一二日及び六月七日にそれぞれ詐欺の事件で起訴され、同月九日に本件覚せい剤の事件で起訴されたが、裁判では全部を認め、懲役三年六月の判決を受け、控訴しないで確定した。
2 A証言と他の証拠との関係
まず、A証言の信用性の判断に先立ち、右証言内容(一)ないし(六)記載の部分について、他の証拠によってどの程度裏付けられているか否かを検討する。
(一) 被告人とAとの関係
被告人は、捜査段階(司法警察員に対する平成元年六月二一日付、同月二七日及び同月二九日付各供述調書並びに検察官に対する同月二三日付及び同年七月一一日付各供述調書)及び当公判廷において、「自分がAと知り合いになったのは昭和六三年三月ころで、『××』においてAと初めて顔を合わせ、その後親しくなった。自分は昭和六一年刑務所を出所後、札幌市豊平区<住所略>所在の第二スターダスト一一号室に住み、同年九月ころからBと一緒に暮らしていたが、Aは自宅によく出入りするようになり、Bとも親しくしていた。自分らは、昭和六三年一二月二六日ころ同区<住所略>所在のサンコーポB棟一号室に引っ越した。自分はAから二、三回金を借りたことがあるが、平成元年二月か三月ころ五万円くらいを借りた。Aから、子供のベットを買ってもらったことがあった」旨供述し、またBも、証人Bの当公判廷における供述において、「Aとは被告人を介して知り合いになった。Aから子供の物などを買ってもらったことがあった」旨供述しており、A証言中、被告人とAが知り合った経緯やBも交えて親しく交際していたこと及び平成元年三月以前において被告人がAから借金をしたことがあったことについては、被告人及びBの右各供述によって裏付けられている。
(二) 被告人と覚せい剤とのかかわり
Bは、証人Bの当公判廷における供述において、「被告人と第二スターダストに一緒に住んでいたころ、被告人が覚せい剤を合鍵を入れる磁石付黒色ケース(<証拠>)に入れて、それを冷蔵庫の底部の水受け皿の横の隙間に隠して所持していたことを見たことがあった。サンコーポに移ってからも同じ場所に同様にして覚せい剤を隠していた。注射器や注射針はテーブルの脚の中に隠していた。被告人が所持していた覚せい剤の量は多いときで五グラム程度あった。被告人は第二スターダスト及びサンコーポで尻に注射して覚せい剤を使用していた。Aは何回か被告人が尻に注射しているのを見たことがあった。第二スターダストにいたころ、被告人が覚せい剤を小分けするのを二、三回見たことがあった。自分は、被告人に頼まれ、一度、Dの部屋に覚せい剤五グラムを二万円で買いに行ったことがあった」旨を供述し、また、Dも、証人Dの当公判廷における供述において、「自分は、一緒に暮らしていたEが行っていた覚せい剤の密売を昭和六三年一一月末ころから手伝うようになったが、平成元年四月一〇日前後に自分が直接被告人に対し覚せい剤五グラムパケを一個二万円ということで渡したことがあった。Bとは電話で二度ほど話をしたことがあるが、検事から見せられた写真を見ると何処かで一度会ったことがあるように思ったが、覚せい剤を渡したという記憶はなかった」旨供述しており、A証言中、被告人が覚せい剤を使用したり、小分けをしていたことについては、B及びDの右各供述によって裏付けられている。
(三) Aと覚せい剤とのかかわり
この点に関してはA証言を裏付けるような証拠は存在しない。
(四) 被告人から本件覚せい剤を預かった経緯
司法警察員作成の平成元年六月三〇日付(一頁裏九行目「送った。」の次から一二行目までを除く。)及び同年一二月二一日付各覚せい剤取締法違反被疑事件捜査報告書によれば、平成元年四月二〇日午後一時三〇分ころ、南大夕張郵便局から札幌南郵便局宛に、差出人B、受取人A名義で、金額五万円の電信為替の授受があり、これが同日午後三時ころA宅に宅配されていることが明らかである。
更に、Bは、証人Bの当公判廷における供述において、「Aから右同日の朝電話が架かってきて、『仕事のことで五万円使うから貸してくれないか』と言われ『五万あるかどうか分らないけど』と答えると、『お母さんでもいいから借りてくれないか』と言ってきたが、手持ちのお金が五万円あったのでそれを電信為替を使って送った。この後、Aからもお金が着きましたという電話があり、その際、被告人が来て一万か二万か貸して欲しいと言われてると言っていた。しかし、現に貸したか否かは聞かなかった」旨供述している。
以上によれば、A証言中、Aが右四月二〇日午前一〇時ころ、Bに架電し、五万円の送金依頼をしたこと、その金員が同日午後三時ころA宅に届けられたこと及びその時期はさておきAがBに対して、被告人から金員の貸与方を求められていることを電話で話ししたことについては、Bの右供述などによって裏付けられている。
また、司法警察員作成の捜索差押調書、司法警察員作成の平成元年七月四日付鑑定嘱託書謄本及び技術吏員池田俊朗作成の同月五日付鑑定書によれば、同月四日行われたA宅の捜索差押によって、同女宅から、黄色プラスチック製ふた付ケース(<証拠>)の中に注射筒(<証拠>)と注射針(<証拠>)がチリ紙に包まれた状態で発見されたこと、右注射筒には覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン微量が付着していたことが明らかである。他方、証人Gの当公判廷における供述によれば、Aは、逮捕後の同年四月二七日の午前中、札幌方面南警察署において尿を任意提出したが、予備試験において覚せい剤反応が出なかったことが認められ、このことからすれば、同年四月二〇日に被告人がA宅で覚せい剤を使用したとのA証言はこの点の裏付けを得ている。
(五) 本件後逮捕までの状況
Aの司法巡査に対する平成元年五月二五日付供述調書謄本及び北海道拓殖銀行薄野支店作成の捜査関係事項照会書に対する回答書(普通預金元帳一枚添付のもの)によれば、AがCから五万円を騙取したのは同年四月二一日(金曜日)であることが明らかである。
また、Fは、証人Fの当公判廷における供述において、「自分は『××』の経営者であるが、Aは二、三か月に二、三日集中的に来る客であった。平成元年四月二三日の日曜日の朝六時ころに車賃としてAに四〇〇〇円を貸したが、以前にも貸したのと合わせると八〇〇〇円くらいになった。その前日の同月二二日にも来店しているが、同月二一日に来店しているかどうかは定かではない」旨供述している。
してみると、A証言中、Aが同月二一日にCから五万円の交付を受けたことのほか、同月二二日、同月二三日に「××」に行っていること、同日朝、Fから金を借りていることについては、Fの右供述などによって裏付けられている。
(六) 逮捕後の事情
この点に関するA証言は、前記二で認定した明らかな事実及び証人Gの当公判廷における供述ともほぼ一致し、かつ、これらによって裏付けられている。
してみれば、A証言中、被告人が覚せい剤と深いかかわりをもっていることのほか、右にみたとおり、他の証拠によって裏付けられている点も少なからずあり、その証言内容も具体的かつ詳細であることから、A証言は一応それなりの信用性をもつとみて差し支えないように思われないでもない。
3 Aの供述の変遷
A証言の信用性を判断するため、更に、同人の捜査官に対する供述調書をも加えて検討する。
(一) 本件覚せい剤を預かった日について
Aは、捜査官に対し一貫して次のように供述している。すなわち、「被告人から平成元年四月二一日に本件覚せい剤を預かった。被告人は同月一九日、二〇日と金を貸してくれと頼みに来たが貸さなかった。同月二〇日午後三時ころBから五万円を受け取ったが、被告人が金を借りる身なのに『何度も足を運ばせて』などと文句を言ったので腹が立ち、その日には貸さずに翌二一日午後七時ころ被告人に二万円を貸し、その時担保として本件覚せい剤を預かった」というのである。
ところで、Aは、捜査段階における供述の細かい若干の変遷はともかく、その基本的部分では、取調当初から一貫していたにもかかわらず、当公判廷において、本件覚せい剤を預かった日は平成元年四月二〇日である旨供述を変更している。
A自身は、A証言において、本件覚せい剤を預かった日に関し供述を変更した理由について、同月二一日には、Cから金を騙取しており、このことは詐欺の捜査段階から供述していたものの、覚せい剤と関連づけて思い出さなかったので混乱していたが、証人尋問期間の五、六日前に検察官からCの件について指摘を受けて勘違いが分かり、同月二二日が土曜日で金融機関が休みであり、同月二一日のうちにCから騙取しているという記憶が確かにあって、実際に、自分もCが銀行で金を引き出すのに付いて行き、客も大勢いたし窓口も開いていたこと、被告人に金を貸したのはその日ではなく、その前日で、Bから送金された金の中から貸していることなどから、二〇日に間違いないこと、同月二一日は、夜も「××」にいたから被告人に会えるはずもなく、この日に被告人から覚せい剤を預かったはずはないことをあげて説明している。ただし、この説明自体もA証言中において相当動揺が認められるし、時として既に記憶にないとの供述部分もみられるが、基本的には、その証言全体を通じて、右説明は維持されている。
Aの右説明は、前記のとおり、同月二一日、AがCから金員を騙取したという客観的に明らかな事実と符合しているうえ、被告人から本件覚せい剤を預かったのは同日ではありえないとその供述内容自体に特段不自然な点はないものの、Aの司法巡査に対する平成元年五月二五日付供述調書謄本でも明らかなように、Aは、自分自身の覚せい剤取締法違反被疑事件の取調べに先立つ、詐欺被疑事件の捜査段階から、同年四月二一日にCから五万円を詐取した事実を認めていたのであり、なぜ被告人の公判段階に至って初めて自分の記憶の誤りに気づいたのか疑問が残る。もっともこの点は、確かに証人Gの当公判廷における供述によれば、Aの覚せい剤に関する取調べは、詐欺に関する取調べ後に開始されており、覚せい剤と詐欺の取調べを関連づけて行っていないことが窺えるほか、Aの捜査官に対する供述は、Bから送金された金員の一部を午後七時ころA宅を訪れた被告人に貸し、その翌日、Cから金員を騙取しているという事実の時間的な前後関係については一貫していること、更に、前記のとおり、被告人に金員を貸した場面や被告人から覚せい剤を預かった経緯について具体的かつ詳細な供述をしていることを考えると、被告人に二万円を貸したのが、Bから送金があった日かその翌日であったかが明瞭でなかったとしても、この点に関する供述の変遷のみをもって直ちにA証言に信用性がないと断ずることはできない。
(二) 被告人とAとの関係について
Aは、捜査官に対し、A証言と明らかに相違する供述をしている。すなわち、Aは、司法警察員に対する平成元年六月五日付供述調書において、「甲は、昨年(昭和六三年)三月ころから逮捕されるまでの間、約二〇〇万円私から引いていった。甲は私から金を引く時決まって『すぐ返すから、分かっているべ』とせまってきた。その意味はシャブを仕入れることであった。これまで言われるままに多い時で五〇万、その他二〇万、一〇万と何回も与えた。甲がなぜしつこく私からこの大金を引くかといえば、そのころから、私は他人の女性を騙して多額の現金を手に入れており、そのことを甲が知ったからだ。今回私は騙した金で少しはいい思いをした。しかし、ほとんど甲にはだかにされてしまったのが実情だ」などと供述し、更に、司法警察員に対する同月七日付供述調書謄本において、「甲は自分で『俺は暴力団だ』と私に何回も言っていた。私が不正の金を持っていることを知ると甲は『金を貸せ。倍にして返すから』といつも嘘ばかり言って私から現金を持っていった。ある時またも金を貸せと言ったので、『いつも嘘ばかり言って一円も返さないでしょう。もうないわ』と言うと、急に態度を変えて『なに、この野郎。街を歩けないようにしてやる』と脅かした。私は恐ろしくなり、ついまた年寄りの女性から嘘を言って金を騙し取り、その中から一〇万、二〇万と甲にやっていたのが実情だ」などと供述している。
しかし、Aは、その証言(第一三回公判)において、右捜査官に対して供述したように、騙取金のほとんどが被告人の方にいった事実はない旨供述し、もし警察でそう述べたとしたら、自分が警察に逮捕、勾留された後、洗面道具や下着を差し入れてもらおうと警察の人に頼んで被告人と連絡をとってもらったにもかかわらず、何の連絡もよこさなかったので腹が立ってそう言ったと思う旨の供述をしている。
Aの捜査官に対する右供述自体は、必ずしも被告人に罪責を転嫁させるものではないが、Aは、被告人に対する腹いせから、詐欺事件について被告人に責任を押しつけ自己の刑責を軽減するため虚偽の供述をしたとも考えられ、そうすると、同様に、被告人に対する腹いせから、Aが自宅冷蔵庫の冷凍室内に所持していた本件覚せい剤について、被告人にも責任を被せ自己の刑責を少しでも軽減するため虚偽の事実を言ったのではないかとの疑いも生じ、Aが被告人から本件覚せい剤を預かったという証言内容について重大な疑問を投げ掛けるものである。
(三) Aと被告人との間における金銭の賃借について
Aは、司法警察員に対する平成元年六月七日付供述調書謄本において、「本年四月一〇日午後六時ころのことだった。甲は、大きいパケ一袋を持って来て、甲の家において私の目の前で『これ二万円パケに小分けする』と言って二万円パケ五つを作った。五つパケを作ってから、甲は私に『おばちゃん六万円貸してくれ。必ずパケをバイ(売って)して返すから』と言った。私は、またいつものとおりと思い、今日は貸した金は必ずもらおうと思って、バイしに行く先まで甲の車に乗って行った。行った先は市内豊平の初めて行った所で、甲は喫茶店の中に入って行き『バイできたから』と言って六万円を返してくれた。私はこの時、甲の車に乗り甲の来るまで車から降りないでじっと待っていた」旨日時などを特定して詳細な供述をしているが、A証言においては、最後に被告人に金を貸したのは平成元年の二月か三月ころであると供述し、Aの捜査官に対する右供述とA証言の間には食い違いがみられるところ、この点に関するA証言が被告人の供述と一致していることを考えると、Aの捜査官に対する右供述も虚偽の可能性が強いといえる。そして、この点に関する右の食い違いもとうてい看過でないものである。
(四) Aが被告人から覚せい剤を担保に取った回数について
Aは、検察官に対する平成元年七月一〇日付供述調書において、本件以前に被告人から覚せい剤を預かったことが二回ある旨供述し、その詳細についても「一回目は二月の初めの方の日だったと思うが、サンコーポの部屋で私は甲に一〇万円貸し、その借金のかたとして甲が小分けしたパケを一つ受け取った。小分けした覚せい剤のパケの量は一グラムくらいだったから、一〇万の借金の担保としては少なすぎるので『これなら少ないんでしょ』と文句を言ったが、甲は何も言わなかった。私はこのパケを受け取ったものの、自分の家に持って行くのが嫌だったので、サンコーポには毎日のように出入りしていたから、この部屋の冷蔵庫の水切りの引き出しの中に入れて隠して置いた。ここに隠した時は甲もBも見ていないすきをみて隠したので二人とも知らなかったはずだ。その翌日、サンコーポに行った時、甲が『金返すから返してくれ』と言うので、甲がトイレに行った時冷蔵庫の水切りの引き出しからパケを取り出し、甲に返した。甲は金を二万円だけ返してくれた。二回目に借金の担保として覚せい剤を預かったのは二月の真ん中ころの日だったと思う。この日の昼前ころにサンコーポで甲に一〇万貸し、その担保としてやはり一グラムくらいの覚せい剤が入ったパケ一つを甲から受け取った。この時も私は甲やBに分からないように冷蔵庫の水切りの引き出しの中に覚せい剤パケを隠して置いた。この日、私は晩までサンコーポにいたが、甲が晩に帰って来て二万円だけ返してくれ、私はパケを甲に返した」旨供述しており、この点、A証言(第一三回公判)では、担保として覚せい剤を預かったのは今回一回だけである旨供述していて、明らかに食い違っているばかりでなく、この食い違いについて説明を求められると言葉に窮していたことなどのAの供述態度などに照らしても、Aの捜査官に対する右供述が虚偽である可能性は極めて強いといえる。そして、この点に関する右の食い違いも前同様とうてい看過できない事項である。
(五) A宅にあった黄色プラスチック製ふた付ケースなどについて
Aは、検察官に対する平成元年七月一〇日付供述調書において、「被告人はサンコーポに移ってからは注射器は持ち歩いていたようである」旨供述しているが、A証言(第一三回公判)では、被告人が注射器を持ち歩いていたか否か知らない旨供述している。
また、Aは、その証言(同年一一月二日実施にかかる尋問調書)において、「自分が以前黄色プラスチック製ふた付ケース(<証拠>)を被告人の求めに応じてあげたところ、被告人は、注射器をその中に入れて持って行ったり、少なくとも四月一九日には自宅にはなかったが、同月二八日に警察官と一緒に自宅に行った際右のケースを見つけたことから、同月二〇日に被告人が置いていったのに気づいた」旨供述し、他方、その証言(第一三回公判)において、「自分がCからお金を騙取する数日前、被告人が家にあった右のケースに被告人の注射器を入れていた」とか、「被告人が注射器をチリ紙に包んで家に置いていったものだから、自分が右ケースに入れてあげ、そのままずっと保管していた」などとあいまいな供述をしており、この点でもかなり供述内容に矛盾がみられる。
(六) 本件覚せい剤を保管した状況について
Aは、検察官に対する平成元年七月一一日付供述調書において、「被告人はアルミホイルで本件覚せい剤を包み、これを自分が渡してやったタッパーに入れて冷凍室にしまった」旨供述しているが、A証言においては、「本件覚せい剤を包んで冷凍室に入れたのは被告人である」旨供述(平成元年一一月二日実施にかかる尋問調書)したり、「被告人から本件覚せい剤を手渡されて、自分がアルミホイルを切って包み、タッパーに入れて冷凍室に保管した」旨供述(第一三回公判)したりするなど、前後矛盾した証言内容となっている。
(七) 本件直後のAの行動について
Aは、検察官に対する平成元年七月一一日付供述調書において、「被告人が帰る時、被告人の運転する自動車に乗せてもらって『××』まで行った」旨供述しているが、A証言においては、「自分は買い物をするため、被告人の運転する自動車に乗せてもらってマートマーケットまで行った」旨供述(同年一〇月二五日実施にかかる尋問調書)したり、「(被告人が帰ったのち)自分はタクシーを拾ってスーパーに行った」旨供述(同年一一月二〇日実施にかかる尋問調書)している。この点についても、被告人に対し初めて担保を要求し、本件覚せい剤を預かったという特別な体験を述べながら、直後の行動について供述が変遷しているということはとうてい看過できない事柄である。
(八) Cからの騙取金の帰趨について
Aは、司法巡査に対する平成元年五月二五日付供述調書謄本において、「自分はタクシーの中にCから騙取したお金を入れていたバックを置き忘れたため、一銭も残っていない」旨供述しているが、その証言(第一三回公判)においては、「主にゲームに費消してしまった」旨供述し、この点に関する供述も相違している。このことは、Aが捜査官に対し、自己の刑責を軽減するために虚偽の供述をしていた疑いが強い。
以上検討したとおりAは、被告人に悪感情を抱いていたことなどから、捜査官に対し積極的に虚偽の供述をしたことが窺われるのであって、Aが被告人から本件覚せい剤を預かった経緯に関するA証言の信用性についても、なお更に慎重な検討を要する。
4 A証言の合理性
(一) A証言自体の合理性
本件においてAが被告人に担保を請求したと述べる理由について考えてみるに、A証言によれば、被告人が借りたお金を返さないためその担保を要求したというものであるところ、Aはその以前においても一〇万円単位の金を被告人に貸しながら一度も返済を受けていないのに、その請求もせず、またその担保も求めないまま、それよりも少額な金を貸すについて今回初めて担保を要求したというのであり、しかも手持ち金がありながら、被告人の求めている金員以上の五万円をBから借り受けたうえ、三万円を手元に残して二万円を被告人に貸したというのであるから、担保を要求したという理由そのものが根拠として薄弱であり、不自然なことであって、納得しがたいし、法禁物を担保として預かること自体、他に密売するか、自分で使用するのでない限り、自己の利益に結びつかないことを考慮すると、Aのいう担保にどれだけの価値があるのか疑問であり、むしろ本件覚せい剤は担保でなかったのではないかという疑いすら出てくる。まして、A証言によれば、A自身、被告人が二万円を返してくれない場合には被告人方に本件覚せい剤を返しに行こうと思っていたというのであるから、担保としての意味を全くなさないことは明らかである。
そして、A証言によれば、被告人から貸金二万円を返してもらう約束であった翌二一日には、A自身ほとんど一日中家を留守にし、「××」に入り浸っていたというのであり、金を貸す際に初めて担保まで要求し、「明日取りに来る」という言質まで取ったという者の行動としては不自然さを免れない。更に、Aは、多数の者から多額の金員を騙取し、生活も乱れていた状況が窺われるのであって、Bから五万円を借り受けた翌日にCからも五万円を騙取し、これらをゲームにも次ぎ込んでいることを考えると、計画性のない自堕落な生活を送っていたAが被告人に今回貸す時だけ律儀にも担保を要求したということ自体不可解なことといわざるを得ない。
そうすると、A証言に高度の信用性が認められない限り、被告人から本件覚せい剤を担保として預かったと述べる供述部分についても合理的な疑いが存するものというべきである。
(二) 他の証拠との整合性
(1) Aと覚せい剤とのかかわり
Aは、A証言において、一貫して前刑の執行終了後、覚せい剤を購入したことも使用したこともない旨供述しているが、他方Bは、証人Bの当公判廷における供述において、「被告人が第二スターダストに住んでいた当時から、Aは被告人から覚せい剤を購入し、被告人や自分に覚せい剤水溶液を注射してもらっていた。Aが覚せい剤を注射しているのを最後に見たのは平成元年二月である」旨供述している。この点、前記のとおり、A逮捕後の同年四月二七日、Aから任意提出された尿について予備試験が行われたが、覚せい剤は検出されず、同女の腕に注射痕もなかったことがみとめられるところ、この事実は、Aが同月二七日から遡ること相当期間内には覚せい剤を注射していないことを示すにすぎず、Aが被告人から覚せい剤を購入したり、被告人らに覚せい剤を注射してもらったことがあるというBの右供述を完全に否定できるものではない。しかも、Bは、証人Bの当公判廷における供述において、Aが自宅において注射器を黄色プラスチック製ふた付ケース(<証拠>)に入れて所持していた旨供述しているところ、Bの右供述には自己に不利益な事実をも供述していて、全体として信用性が高いことに鑑みると、Aが覚せい剤を使用していた疑いは強く、覚せい剤取締法違反による前刑出所後は覚せい剤を使用していないとするA証言はとうてい信用できない。
(2) A逮捕後、Bが被告人から受けた電話内容
また、Bは、証人Bの当公判廷における供述において、「(A逮捕後)被告人から電話があって、『新聞見たか。ばばあ捕まったぞ』と言い、『Aに売った覚せい剤がまだ残っているはずだから、A宅の冷蔵庫内の覚せい剤を処分しなければならない。Aに面会に行って部屋の鍵をもらってきてくれ』と依頼があった。同様の依頼が電話で二、三回あった」旨供述している。Bの右供述は、被告人が本件覚せい剤とのかかわりがあることを推認させる点においては、A証言を補強するといえるが、他面Aが被告人から本件覚せい剤を貸金の担保として預かったとのA証言の信用性に疑問を抱かせるものである。
(3) Aが逮捕後本件覚せい剤のことを言い出した理由
Aは、A証言(第一三回公判)において、「警察で三〇グラムの覚せい剤を被告人から預かって隠しているだろうと責められ、それで家の中でも何でも捜して下さいと言った。預かったのはこれくらいの袋しか預かっていないということで本件覚せい剤のことを言い出した」旨供述しているが、この供述は、証人Gの当公判廷における供述と明らかに食い違っている。すなわち、右Gは、「自分はAの詐欺事件を担当し、同女に対する取調べは、逮捕当日の同年四月二三日に身上関係などについて、翌二四日に送致事実の詐欺被疑事実について行ったが、同月二五日には検察官に事件を送致し、同月二六日には勾留質問があったため、この両日には取調べをしなかった。同月二七日の取調べの時、Aが覚せい剤のことを初めて言った。しかし、覚せい剤を扱う防犯課に事件を引き継いだのは、詐欺に関する取調べが終了したのちであり、五月末ころまで覚せい剤事件に関してAを取調べたことはなかった」旨供述してる。したがって、Aが本件覚せい剤を警察官に言い出した理由については多大の疑問が残り、A証言の信用性を大きく損なうものといわざるを得ない。
5 A証言の信用性の検討
以上からすれば、A証言は重要な諸点において信用性に欠けるといわざるを得ない。
なるほど、A証言中、Aと被告人との関係、逮捕後の事情のほか、被告人自身が覚せい剤を臀部に注射して使用したり、覚せい剤を小分けしたりしていたという被告人と覚せい剤とのかかわりに関する供述部分は、他の証拠とも符合しており、その点の信用性は十分肯認できる。
しかし、Aが被告人から本件覚せい剤を預かった経緯については詳細かつ具体的な供述をしているとはいえ、既に説示したとおりA証言を子細に検討してみると、被告人がA宅に金の無心のために来訪した日時、本件覚せい剤を預かった日及び本件覚せい剤を冷凍室に入れたのは誰かということなど、重要な事項において、捜査段階の供述と齟齬し、また、不自然に変遷しており、しかも、A証言中において右事項について必ずしも安定した供述となっていないということは、A証言の信用性に影響するというべきである。また、Aは、逮捕後洗面道具や下着を差し入れてもらおうとして連絡を取ってもらっていたのに、被告人が何もしてくれなかったことに腹を立て、詐欺事件の騙取金のほとんどは被告人が取っている旨捜査官に対し虚偽の供述をしていること、Aの覚せい剤を使用していないことの供述も疑わしいこと、Cからの騙取金の帰趨についても場当たり的に、不自然に供述が変遷していること、さほど重要とも思われない事柄について供述を拒否したり、作話的と受け取られるような変遷がみられること等も、A証言の信用性に大いに疑問を投げ掛けるものである。更に、Aは、捜査段階において、被告人の覚せい剤密売状況を詳述したり、これまでにも被告人から覚せい剤を担保に取ったことがある旨供述しているが、これらの点も前記のとおり虚偽である可能性が極めて強いこと、Aが本件覚せい剤のことを警察官に申述した経緯についても明らかに事実に反していること、Aの供述態度が極めて不自然で動揺が多く、一貫性がないうえ、被告人の面前における供述を渋り、被告人が退席した後においても証言内容に変転がみられること等からも、A証言の信用性は大いに疑問である。
してみれば、A証言は、以上のような重要な諸点に関して信用性に欠けるといわざるを得ないから、Aが被告人から本件覚せい剤を貸金二万円の担保として預かったと述べる供述部分に限ってA証言が信用しうるという保障はないというべく、A証言のみに基づいて被告人がAに本件覚せい剤を預けたと合理的に認定することは不可能であり、他にこれを肯認するに足りる証拠はない。
五 結論
以上の次第であるから、被告人がAと共謀のうえ本件覚せい剤を所持したと認めるには、なお合理的な疑いが残るべく、結局本件公訴事実については犯罪の証明がないことに帰するから、被告人の供述やそのアリバイの成否について検討するまでもなく、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官佐藤學 裁判官河合健司 裁判官近藤昌昭)